ぶにゃ仲間サークル というハンゲームのサークルに私は所属していた。
あれは05年ぐらいの話だったと思う。
2005年という年は、僕の中で大きく二つの出来事があった年だ
当時僕は中学校2年生で、クラスにあまり馴染めないでいた。(馴染めないと言っても、それは登校拒否だとかいじめに遭っていたわけじゃなく、言葉の通り馴染めていなかったのだ。)
僕はそれまでは底抜けに明るい性格だった。でも、クラスに馴染めていなかったという事が、僕を大きく進路変更をさせたのだった。
丁度村上春樹を読み始めたのも中学2年生の時だったし、初めての彼女が出来たのも中学2年生の時だった。
もう一つは、インターネットにおけるコミュニティに所属した事だった。
WindowsXPが我が家に来て、僕は学校から帰って来て即PCに向かうという、なんとも引きこもりな生活を送っていた。
早い話が、僕は学校に居場所がなかった分、こういうことに活路を見出したのだ。
それがタイトルの「ぶにゃ仲間サークル」である。
ハンゲーム内に存在していたサークルという機能は、mixiのコミュニティみたいなものである。
で、その中におまけとして、ぶにゃと呼ばれるハンゲームの公式キャラクターに水をあげたり、肥料をあげたり、話しかけたりして育てていくゲームがあった。
サークルランキングというものが存在し、スレッド数や返信数に加え、ぶにゃをいかに育てたかを数値化して、順位を競う、というのがあった。
僕が仲間サークルに入会したのは、確か05年の08月だったと思う。
ゆきさんというサークルオーナーと何らかの理由であって、参加させてもらったのだったと思う。
人数は上限が100人だったから、人気サークルに入れたのはかなりのラッキーだったといまになれば思う。
僕はそこで役職を与えられて、いわば存在理由が出来たので、暇さえあればそこを覗いていた。
そのサークルで僕は何人かの人と交流した。
当時千葉県で高校生をやっていた「さおりさん」にいっちょまえに恋をし、
当時小学生だった鹿児島の女の子と文通を始め、(大学1年生になって鹿児島に会いにいった)
リアディゾンを好きというのはありなのかなしなのか、みたいな話題で盛り上がったりした。
それまで学校の同年代の友人以外とは全くしゃべった事のなかった僕が、自分よりふたまわりぐらい上の人と色々喋ったことは、その後の人生にも多かれ少なかれ影響を残したと思っている。
このブログにあるように、ぶにゃ仲間サークルは06年の夏にはサークルとしての活動を停止した。
僕はその時中学生だったから、この当時なぜ活動停止になったのかとかの事情は全く分からなかった。正直に言って、今もよくわからない。今後も知る事はないと思う。
それでも、07年の夏頃、確かハンゲームのサークル機能がサービスを停止するまでは、細々と交流があったと思う。
だんだんとログイン回数が僕も元サークルメンバーも減っていき、毎日何十回もログインしていた僕も今では一ヶ月で一度か二度ログインする程度だ。
なぜ僕がこんな話を急にブログに書いたかというと、今度今でもハンゲーム内で連絡を取り合っている人とリアルで会うことになったからだ。
お互いに、僕ら以外のみんながどうなったか知らないと思う。
でも交流を深めていければいいなとも思う。
サークルの主要メンバーがいつかGoogleやヤフーの検索窓に「ぶにゃ仲間サークル」の名前を入れたときに、このブログにたどり着いてほしいと思う。
そして、もしよければコメントの一つや二つ書いて、アポイントが取れればいいと思う。
僕はいつまでも、もう10年も昔になっていたあのときの事について、誰かと語りたくてたまらないのだから。